東北行 Vol.23
帰りがけに通りすがりに松の見える道を通りました。
周りを足場に囲まれて、、、、、。
本物の松は枯死してしまったようですが、幹の中にコンクリを入れてモニュメントとして再生するらしいですね。
震災を受け、甚大な被害をこうむった陸前高田のシンボルとして後世まで事実を伝えていってほしいものですね。
帰りがけに通りすがりに松の見える道を通りました。
周りを足場に囲まれて、、、、、。
本物の松は枯死してしまったようですが、幹の中にコンクリを入れてモニュメントとして再生するらしいですね。
震災を受け、甚大な被害をこうむった陸前高田のシンボルとして後世まで事実を伝えていってほしいものですね。
今日中に東京まで帰らなくてはならない私たちの事情で、お昼までの作業で今回の支援は終わりにさせていただきました。
畠山先生の計らいで、最後にちゃんと汗を流して帰ってとのことで、近くの温泉に案内していただきました。
お風呂場から、眼下に今は何事もなかったように凪の太平洋の波を見ながら今回は私も入浴しましたが、とっても気持ちの良いお風呂(温泉)でした。埼玉入間道院の皆さんや畠山先生のお兄様は、私たちがお風呂から上がってくるまで待っててくださり恐縮しました。自分たちはこれからまだ他の作業があるからと言って待ってていただきました。心憎いまでのお心遣いに本当に申し訳なく、感謝・感謝の連続です。
頭上には、たくさんの鯉のぼりが泳いでいました。
2日間ともとてもいい天気に恵まれて、貴重な体験・いい出会いができました。
最後はお互いに手を振りながらお別れをしました。
畠山先生、体調があまりすぐれないにもかかわらずずっとお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
くれぐれもご自愛ください。
漁業支援をさせていただきました。
「めかぶ」の整理をしています。宗道臣塾第2期生、橋本さんです。
後ろは、埼玉入間道院の女性拳士の同僚の「ミポリン」です。
そのうち、感化されて入門してくれたらうれしいですね。
ワカメを90度のお湯で数分湯がいて即、冷水(海水)でシメて、引き上げて塩漬けするんですが、作業中は、話もせずただ黙々と作業しました。これは、作業が済んでからの写真です。手に持った二股の木でもって水槽内のワカメを上手に掬って袋詰めしました。結構な量をしましたが、漁師さん曰く、明日が出荷日で午後からその作業があるので今日はこれで終わるけど、普段はこの量の倍以上は収穫するんですよと言われ、びっくりでした。
ほとんどの家庭が家内工業(マニファクチャー)で、どこも後継者がいなくなってきてて、結構厳しいんですよとは、おにぎりやリンゴを差し入れていただいた奥さまのお話でした。
私たちのやったことといったら、ほんの数時間の短い時間、ちょこっとお手伝いさせていただいただけです。
でも、本当に皆さんに喜んでいただき、心洗われました。
タメケン曰く、「ワカメがこんな大変な作業を経てできてるのがわかり、これからは大事に食べさせていただきます」。私も含めて、ホント本音です。
漁師さんは、これだけ一杯作って、買い上げ価格はほんのちょっとなんだよね。仲買人がああだこうだと注文つけて安く買い叩いて大量に持って帰るんですよとおっしゃってました。どの産業も末端から言えば間に人の手が入ることによってどんどん値が上がっていく様は一緒なんだなと改めて思いました。
漁港まで行く道中の車中から見た有名な『奇跡の一本松』です。
手前の風景もひどいでしょ。
何か建物が立ってたような。。。。。。。感じがするだけの景色です。
ほんと、周りにその残骸すらなく、過去に何があったか想像もできない惨状です。
明けて14日(日)朝、6時出発との約束で先生方もいらっしゃいました。
泊まらせていただいた「第3部落会館」の前でメンバーで撮りました。
前列左から、ミポリン、埼玉入間道院の拳士の方、ヨッシー、私、バニ~。
後列左から、ポッポ、マッキー、畠山先生、そのお兄様、タメケン。
陸高へボランティアに来られた方々をお世話されてる拠点です。
各地から、今も多くの方々がお手伝いに来られてました。
今日は、拠点の担当者と畠山先生との話し合いで、私たちは午前中、漁業作業の支援をさせていただくことになってました。
畠山先生つながりで今回お世話になった第3部落会館にあった黒板に、せめてお礼をと思い版書しておきました。
本日の夜、部落の会合があるとかお聞きしましたので、見ていただけたらうれしいですね。
一宿一飯のお礼ですが、思い出に残る一夜でした。
私は酔っ払ってて、最後に〝津山ホルモンうどん〟も作ったらしいのですが、正直覚えてません。仲間が曰く、うどんもおいしかったよとのことでした。めでたし、めでたし・・・・・・・・・・・・。
何やら、夜の夜中にひと騒動あったそうな。
聞くところによると、ポッポが一時期行方不明になってしまったらしく、バニ~とタメケンが心配して必死に探し回ったそうです。本人は、ただ、 大 がしたくて、水洗トイレに行ってた(少し離れた別の建物にある)そうで、スッキリした顔をして帰ってきて、みんながバタバタしてるのを見て一言、「どげんしたと?」相変わらずのポッポちゃん節でした。
私のこだわりである「カシワ肉(親鶏)」がなかったので、しかたなく「モモ肉」にしましたが、数年前のB級グルメで見事金賞(優勝)を獲り一躍有名になった岡山県真庭市(蒜山地方)の〝蒜山焼きそば〟を作りました。
キャベツと玉ねぎ、人参とあとは秘密の?と?で味付け、最後は?でシメて絡めて出来上がり。
大きなフライパンにあるのが 〝蒜山焼きそば〟です。
また、皿に盛ってるのがカンタン料理のもやしとウィンナーのサラダです。うえには、新鮮なキザミきゅうりを乗せました。
マヨネーズでもよし、ポン酢でもよし、お好きな調味料で召し上がれ。
セルフタイマーで撮った今回のメンバー全員の集合写真です。
バニ~、ポッポ、マッキー、タメケン、私、ヨッシーの6人です。
私が持ってるのは、バニ~が持参したJR赤羽駅でしか売ってない
オリジナル酒でその名も「アカバネ」。売店の売り子さんに「私は赤羽言います」って名前を言ったらめちゃ受けたらしいです。フルーティでなかなか口当たりのいいお酒でした。
みんなで廻し飲みしたら、あっという間に空になっちゃいました。
テーブルの上には、いろんなビンが並んでますが、これは、少林寺拳法ボランティア隊の皆さんが会議して(飲まれて)残されたもの(飲み残し)です。なので、私たちは、その残りあるものを「やっつけて」、新しく何本か買ってきているのをキープして帰ることにしました。
そうやって、行動も焼酎も 繋がって いくのであった。。。。。。。チャンチャン。
畠山先生と別れて、みんなで紹介していただいたお風呂に行きました。山をクネクネあがっていき、その先にこんなことろにあったんだ みたいな温泉がありました。私たちのようなボランティアグループが何組か宿泊してたようです。私は、これから買出しして、夕食を作らなければならないので湯冷めして風邪でもひいたらいけないし、入りませんでしたが他の5人はゆったりのんびり汗を流して身体を洗って足をのばしてリラックスしたようです。
スッキリした顔の面々です。
左からポッポ、マッキー、タメケン、私、ヨッシーです。
JR陸前高田駅前のメイン通りです。
駅に降り立ったら、まっすぐ道路が延びてて周りにはいっぱい商店やらビルが立ち並んでいたのです。
さぞや賑やかだったことでしょう。見てのとおり何にもありません。街ひとつ消えたっていう表現が正しいのかもしれません。写真はありませんが、駅のホーム・・・・だった場所に立ってこの風景を見た時は言葉が見つかりませんでした。
「想像を絶する」とはこのことかと実感しました。
ここは忘れてはならない、2011年3月11日、未曾有の大災害を引き起こした「東日本大震災」の実際の被災現場です。
ご覧のようにあたり一面、何もないです。震災当初は瓦礫の山だったそうです。画面の左後方にNTTの建物がありますが、NTTの庁舎って、基礎が半端じゃないんです。なので、震災に遭ってもびくともしませんでしたが、窓とかは全部破壊されたようです。
また、右の方に見えるのが、ある会社のビルだそうで、社長さんは、屋上の突き出た箇所につかまっててかろうじて助かったそうです。見えるかどうかわかりませんが、青い色を塗った線があるのですが、当日はその線まで水(濁流)が来たそうです。ちなみにその社長さんのご家族は、近くの避難場所にちゃんと避難してたんですが、その避難所自体が建物ごと流されてしまって、亡くなられたそうです。市の再開発構想では、くだんの建物を取り壊したいとの意向だそうですが、その社長さん曰く「私財を投げ打ってでも、残してほしい。絶対に忘れてはいけない。この事実を後世まで伝えたい」と陸前高田市に掛け合っておられるそうです。